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  • 執筆者の写真Boo de 風

いまは生きた真理の時代。


「教会の問題」についての3回目。

この問題を考察する上で、テーマが5つ挙げられています。

今日は、前回に続き、ひとつめのテーマ「教会の失敗」について。


では、まいります!


アリス・ベイリー著『人類の問題』第五章 教会の問題、134~135頁より。


 人間の小さなマインドには、過去や現在での進化段階では、私たちがその中で生き動き存在する方のマインドや目的は理解できず、これまでにも理解できたことはなかった。人々は神を自分なりに解釈してきた。したがって、人々が考えもせずにドグマを受け入れたとき、彼らは神聖な真理を受け入れたのではなく、誤りを免れることのできない別の人間の観点を受け入れたにすぎないのである。神学校はこの神聖な真理を教え始めなければならず、人々に自分自身で思考する訓練を施し、真理への鍵が比較宗教の融合する力にあることを覚えておくようにさせなければならない。普遍的に認められ、すべての宗教に取り入れられている原理と真理だけが救済にとって本当に必要なものである。提示された真理の二次的な、論争の的になる面は通常は不要なものであるか、主要な本質的な真理を補足するという点でだけ意味があるものである。

 キリストとは何の関係もない神学体系を人類に定式化させたのは、このような真理の歪められた提示であった。神は愛であること、すべての人間が一なる父の子供であり、したがって兄弟であること、人間の霊が永遠であること、死は存在しないこと、これらのことを人間が認識することだけをキリストは望んだ。そしてキリストは、すべての人間に内在するキリスト(私たちをお互いと、そしてキリストと一体化させる生来のキリスト意識)がそのすべての栄光を花開かせることを熱望した。キリストは奉仕が霊的生活の鍵であり、それにより神の意志が明らかになることを教えた。これらの点をほとんどの注釈者は書いてこなかった。彼らは、キリストがどこまで神聖であったか、キリストがどこまで人間的であったかについて、そして処女降誕の性質、キリスト教真理の教師である聖パウロの役割、地獄の性質、血による救済、聖書の信頼性と忠実性について吐き気がするほど議論してきた。

 今日、人々のマインドは自由の夜明けに気づきつつある。そして、すべての人間に自分なりの方法で神を崇拝する自由があることに気づきつつある。これは(来るべき新しい時代において)すべての人々が自分の信奉する神学校を自由に選択できるようになるということを意味しているのではない。神の啓明を受けた自らのマインドで真理を追究し、自分自身でそれを解釈するようになるのである。神学の時代は終わった。いまは生きた真理の時代である。伝統的な教会はこの生きた真理を認めるのを拒否している。真理とは本来、論争の的になるものではない。論争が起こる場合、その概念は通常は重要性において二次的なものでしかなく、多くの場合、真理に関する人々の解釈である。



今日も、長く引いてみました。

年内に終わるはずのなかったこのシリーズを書いていこうと決意した理由。

それはこの内容が、新しい時代の光明が射さんとしている今、この瞬間に、是非皆さんと共に感じ入りたいと思ったからです。

新しい時代は、覚者方が生み出してくれるのではなく、私たちひとりひとりの自覚的な生き方が大きなムーブメントとなり、その結果として草創されるものではないでしょうか。


神学の時代は終わった。いまは生きた真理の時代である。



生きた真理は、神の啓明を受けた自らのマインドで追究し、自分自身でそれを解釈する真理。

誰かにこれが真理だと押し付けられたものではない、ということです。

みなさんは、どのようにお考えになられますでしょうか?


この続きは、年明けとなってしまいます。

途中、寄り道をしつつ、気長に気長に書いてまいります。


今日の写真は、何度も登場している一枚。

数年前に、15年ぶりに訪れた南の島で撮影しました。

私にとってのキリスト愛の象徴のような光。

大切な写真です。


みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!



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