「菜食主義」について。
『未完の自叙伝』からのシェアをもとに、
菜食主義という在り方についてのアリス・ベイリーの考え方を連投しています。
昨日の記事のポイントはこちら。
すべての弟子の人生には菜食にならなければならない時期がある。
そして今日は、「個人」を超えた普遍的な視点でのアリス・ベイリーの見解を、シェアしたいと思います。
ではまいります!
アリス・ベイリー著『未完の自叙伝』、188~189頁より。
動物を食べるのは残酷だからという考えに基づいた菜食主義の議論は、情緒的で観照的な人たちがおもっているほど正しくないかもしれません。私は動物が好きなので、このことではとても悩みました。ここで、役に立つと私が思ってきた考え方を二つ提示したいと思います。進化過程を支配する犠牲の法則というものがあります。植物王国は鉱物王国から生きる糧を引き出します。なぜなら、植物王国の根は鉱物王国にあるからです。動物王国は生きる糧をかなり大規模に植物王国から引き出し、植物王国の生命によって生きています。高等な動物の一部には肉食を市、進化の法則の下で捕食し合うものもありますが、一部の狂信者が主張するように、人間の考え方に刺激されてそうしているわけではありません。続いて今度は、人間王国は動物王国から生きる糧を引き出していると見なしてもよいでしょう。人間は三つの下位王国にとって大宇宙なので、人間はその三つの王国すべてから生きる糧を引き出していると考えるのが順当かもしれません。現に、人間はそうしています。東洋の古代の聖典では、人間王国は「神々の食物」であると言われていますが、この文章で大いなる「犠牲の連鎖」は完結するのです。
今日は、アリス・ベイリーが皆さんに役に立つと思ってきた考え方の一つをシェアさせて頂きました。
それは、
「菜食主義」を、進化過程を支配する「犠牲の法則」という視点から理解するということ。
秘教における進化過程は、五つの王国、つまり最下位から順に、
鉱物王国、植物王国、動物王国、人間王国、超人間王国
という構成で成り立っています。
そして、上位の王国は、下位の王国から生きる糧を引き出し全体が成立する、ということなのですね。
一般的に、万物の霊長と言われる人間王国でさえ、第五王国の神々の食物であり、これをもって「犠牲の連鎖」が完結する。
アルトラル的な感情を介さず、宇宙の法則を以てして提示されると、なんともスッキリ致します。
明日は、アリス・ベイリーが提示するもうひとつの考え方をシェアしたいと思います。
梅雨の晴れ間。清々しい。
今日も、空を見上げて!
みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!
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