久しぶりに、『未完の自叙伝』輪読会の情報をまず初めに。
3月にスタート致しましたこの輪読会も、折り返し地点を通過し、後半も半ばに差し掛かっています。
毎回終了後、【夜の部】【昼の部】ともに、ファシリテーターが振り返りのシェア回を開催し、YouTube、SNSにアップしていますので、
これまでの話の流れの復習に、是非ご活用ください!
(私も参加しております…。たまに、ひとりシェア会も開催。)
さて、ここから今日の本題です。
みなさんは「菜食主義」に対してどのようなお考えをお持ちでしょうか?
私は4年ほど前にアートマ・クリヤ・ヨーガをスタートし、日々、マントラムを唱えたり、サーダナを行っていく中で、徐々に「菜食主義」という在り方に向きあうようになりました。
折しも、コロナ禍突入ということもあり、食に対する情報収集に奮闘した時期で、あらゆる観点から良いタイミングであったと感じています。
今現在、自宅でお肉を調理することはほとんどありません。
あっても、年に1~2回ほど。
しかし一方で、魚貝類はほとんど毎日、というくらい食卓にあがります。
ということで、私は菜食主義者ではありません。
が、引き続き、この在りようについての問いかけは続いていました。
そのような流れの中での『未完の自叙伝』輪読会 第11回目。
「菜食主義」について言及されていました。
今日から数回にわたり、その内容をシェアさせて頂きます。
(ボリュームがあるので、分散することにします。)
アリス・ベイリー著『未完の自叙伝』、188頁より。
すべての弟子の人生には菜食にならなければならない時期があると私は確かに思います。同様に、男性にしても女性にしても、独身でいなければならない人生もあるに違いありません。肉体性質を統御し終えたことを実証するために、そうしなくてはならないのです。しかし、統御が完了し、もはや肉の欲望に流されることがなくなれば、自分にとって最も良いと思われるように、そしてカルマが指示し環境の命じることに従って、結婚してもしなくても、肉を食べても食べなくても、どちらでも良くなるのです。ひとたび実証されたら、状況は変わってくるのです。肉体の鍛錬は訓練の一局面であり、学ぶべきことを学び終えたらもはや必要ではなくなるのです。
すべての弟子には、菜食主義を貫くべき人生があるということ。
これは、感覚的に非常に納得がいきます。
「道」を歩む上で、自ずと通過すべき人生なのだと思います。
今生、まさにそのプロセスの渦中にいらっしゃる方もおられましょう。
みなさんは、この言葉、どのように受け取られましたか?
では次に、ひとりの人生という観点から離れ、もっと俯瞰したときに、アリス・ベイリーは「菜食主義」についてどのように考えていたのでしょうか?
明日からその内容についてシェアしていきます!
今日、6月16日はアリス・ベイリーのお誕生日。
思いを馳せる一日にしたいと思います。

みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!
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