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  • 執筆者の写真Boo de 風

統合のプロセスにおける解放

更新日:2021年11月21日


先週末に伊豆高原で開催したリトリート。

雨女(というか、豪雨女)の私を除く晴女のみなさまの、超ポジティブなパワーのおかげさまで、連日清々しい晴天に恵まれました。感謝!


ファスティングホテルでのリトリートは、本当に浄化が進むことを実感。

ファスティングといっても、スーパーフードのモリンガをジュースで頂くので、お腹は満足致します。

ファスティングで身体の浄化を、アートマ・クリヤ・ヨーガで内側の浄化を促進。

そして、ホワイトマジックを通して秘教に、人生に思いを馳せ、皆で語り合う。

ホテルの目と鼻の先に広がる雄大な海で日の出を眺め入り、自然の中をウォーキング。

なんとも贅沢な時間でした。



さて、ここからは、参加者の立場から私自身の感想をシェアさせて頂きます。


誰しも道を歩む上で、はずすことのできないポイント、通過点が幾度か巡ってくるものです。

大きいポイントもあれば、小さいポイントもありましょう。

いずれも、寸分違わぬタイミングでそこに置かれているのは、神の采配ゆえ。

人間側が意図することのないままに、時と場所においてバシッと、ビシッとポイントが設定される。

このポイントが、「リトリートの期間」という時と「伊豆高原」という場所において、私の中で意図せずにバシッと設定されていました。

それは、自分の中のひとつの解放、あっちゃこっちゃと飛び回っている自身をいずれ統合していくプロセスにおけるひとつの解放…今、そんな感じがしています。


日常 → 非日常 → 日常

分離 → 移 行 →(再)統合


これは、ヴァン・ジェネップの提唱する「通過儀礼」ですが、今回の私のポイント、通過点はこの概念をお借りして説明できるのでは…と思いました。

日常生活から自分自身を切り離し、リトリートという箱の中に身を置く。

これはまさに非日常。

その特別な箱の中で、意識下、無意識下で様々なことを感じ、自分の中がガッツリとかき混ぜられ、固定化していたものがはがされていく。

正直、ここには痛みも伴いました。

しかし、神の采配のもとの人生において、必要なことしか起こらないわけで、その痛みをしっかりと見つめる必要があったということ。

1枚はがされ、2枚はがされ…このタイミングで必要な枚数が完全にはがされて浮上していく。

この浮上が、私にとっての解放だったわけです。


自分の中の変化を言葉に落としていくということはなんとも難儀なことですね。

でも、こんな感じ…。

統合のプロセスにおける解放。

表題のこの言葉に温かみは感じられないかもしれませんが、血もエネルギーもガンガン通った上での経験でありました!


前回の記事「アートマ・クリヤ・ヨーガと秘教」の中で、「東洋と西洋がお互いに影響を与えあうことによって最終的な統合に向かう」という引用を致しましたが、その壮大な作業を個人のレベルに落とし込んでいく。

言葉で表現できませんが、ガッツリとしたかき混ぜは、そんな作業の一貫だったような…。


以上、今日は伊豆高原リトリートの私の感想のシェアでした。



さぁ、今日も空を見上げて!


みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!

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