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  • 執筆者の写真Boo de 風

目を向けるのは、美しい世界だけでよいのか?

更新日:2020年10月4日


実はコミュニケーション&ヒーリングを1週間行わせて頂いた彼女(わんちゃん)から学んだお話を…と思っていたのですが、それは次の回に。

そして今日は久しぶりに個人的に思うこと、気持ちの変遷をつらつらと思うままに。


以前、いわゆるスピリチュアルの世界、いわゆる精神世界でご活躍の方々にご縁のあった時期のこと。

みなさん、口をそろえておっしゃっていらしたのがこれ。


自分がフォーカスすることがそのまま現実になるのだから、明るいこと、美しいこと、キラキラすることに目をむけてましょう。

それがそのまま自分が存在する世界になります。

だから言葉の使い方も大切。


私、結構素直なので(自分で言ってみる。)、これをちゃんと実行しました。

その結果、私のまわり、私が存在する世界は、もしかすると明るく、美しく、キラキラしたかもしれません。

が、しかし。

もう少し遠くに視線を向けると、哀しく苦しく心痛む世界が広がっているのです。

そこを見て見ぬふりをして良いのでしょうか?

否、見ぬふりができるのでしょうか?

私にはできませんでした。

そこを含めて明るく、美しい世界であらねばならない。


そんな思いから、私は光と闇の構図に目を向けるようになりました。

人間も動物も、みんなが穏やかに暮らすことを阻害している問題は何なのか。

ここをしっかり見つめていかないと、公平な平和はやってこないだろうと思いました。

そしてまた、明るいこと、美しいこと、キラキラすることだけに目を向けていくことは世界の分離につながること。

そんなふうにも思いました。


そこの根底にあるのは、たぶんこの言葉。

「みんなが幸せにならないと、本当の幸せはやってこないのよ。

自分だけの幸せは本当の幸せではないのよ。」


今生、私との時間は二十年、いや、日常生活を営めた時間はもっと短いものでしたが、母が遺したこの言葉は年齢を経るにつれて心に深く刻まれて行きます。


目を向けるのは、美しい世界だけでよいのか?

みなさん、どのようにお考えになりますか?

今日はひとつ、問題提起をさせて頂きました。


光と闇がせめぎ合う世界。

小さき私にはまだまだ目の向け方に甘さがあり、その視線は鋭さに欠ける私ですが、どちらかということでなく、全体を…そう思ってやみません。





さぁ、今日も空を見上げて素敵な一日をお過ごし下さい!


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