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  • 執筆者の写真Boo de 風

人が神を待つのではなく、神が人を待っている。

更新日:2021年11月7日

前回、こんな記事を書いてみました。


自分で記した内容を改めて感じ入り、今日はその一歩先へ向かってみます。

ちょっと壮大な話になってしまいそうですが、どうぞお付き合いください。


さぁ、まいります!

前回記事の題目の「時」を「神」に置き換えてみましょう。


人が神を待つのではなく、神が人を待っている。


いかがでしょうか?

今日の記事は、これが題目です。

自由意志のもと、ここから私見をつらりつらりと。


私は、神の恩恵、神の恩寵が働く上で、人間における神への志向が大切であるという考え方に立っています。

まず、人間が神の似像であるという真意に気づき、キリストを模範とする愛を以てして自らを奉仕の道具となす。

しかし、この経過自体も神の恩恵の為せる業であり、すべてに先んじて存在するのが神の恩恵であるということ。

一見パラドックスのようにも思える、この神と人との共働の上にすべてが成り立つということ。


しかしながら、すべてにおいて神の恩恵ありきであるということは、人が神を待つのではなく、神が人を待っているからこそ、と換言できるのではないでしょうか?

その神に対して、人がいかに呼応していくか。

この点が、前回の記事の内容に重なるところです。


時が(神が)人を待っているのであるならば・・・

人も時を(神を)信じて進みませんか?


未来という時を(神を)ひたすらに待ち続けるのではなく、信じてくれる時に向かって(神に向かって)自ら進んでいきませんか?


神が人を信じて待っている。

そう信じて、みなさん、どうぞご一緒に今日もまた新たな一歩を。




今日も空を見上げてまいりましょう!




今日も素敵な一日をお過ごし下さい!


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