今日から、数回にわたってグリーフのお話です。
Boo de 風の活動の軸はグリーフサポート。
ということで、初心にかえってみようかと思います。
「グリーフ」って、なんでしょうか?
「グリーフ」って、限定されるなにかでしょうか?
喪失に関するさまざまな思いをグリーフという言葉で表現します。
その喪失とは「死別」だけが契機となるわけではありません。
その対象も「人間」だけではありません。
ディアスポラにとっては「土地」がその対象になるのかもしれません。
病気を通して切除した「自分の身体の一部」ということもありましょう。
もしかすると、叶えられなかった「自分の思い」かもしれません。
それぞれに深く、言葉には表現できないものがあります。
Boo de 風のグリーフサポートにおいては、「グリーフ」は育てていくもの、とお伝えしています。
ひとところに留めることなく、自分の歩みとともに「グリーフ」を育てていく。
これは、とても大切なことであると感じています。
7月に入って、「大師が教え導くのに値する人を探そうとするとき」というテーマで5回のシリーズで記事を書いてまいりました。
そこで、際立っていた一文があります。
アリス・ベイリー著『ホワイトマジック 上』、228頁より。
弟子たちが自分自身を発達させ、自分自身の救済を遂行し、一歩一歩前進するにつれて、彼らの特定の大師はますます多くの責任を彼らの肩に担わせる。
これをじっくりと味わってみました。
そうしたところ、次のようなことを今更ながら気づいたのです。
自分自身を救済するのは自分自身であるということ。
これは究極の孤高でありましょう。
そこには確固たる信念がなければ、時に心おれることもあるというもの。
そして、です。
救済すべきなんらかの問題が誰にでもあるということ。
この、救済すべき何らかの問題が引き金となって抱える思いがグリーフなのかもしれません。
これは、タイミングと状況は人ぞれぞれですが、必ずあるわけです。
そうでなければ、この一文が発せられることはありません。
いつまでもいつまでも、グリーフを引き起こす契機となった経験を握りしめたままでは、自分を救済することはできません。
むしろ、苦しい状態が継続していくわけです。
非常に厳しい言い方ですが、神の視点からは自己憐憫と映るやもしれません。
だから。
ギュッと握りしめた手を緩めてみましょう。
それが最初の一歩です。
自分自身を救済し、一歩一歩前進していく上での最初の一歩です。
★来月より10日ごとに更新いたします。
さぁ、今日も空を見上げてまいりましょう!
みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!
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