Boo de 風
「島唄」から考える沖縄。
更新日:2月8日
今日も、ひと月ほど前の朝刊記事から、あれやこれや。
THE BOOMの『島唄』
1992年の年明けに発表されたアルバムに収録されたその曲は、私にとって、印象深いというか非常に衝撃的な楽曲でした。
その年の年末に出された沖縄の方言、ウチナーチグ・バージョンは更にその上をいき、胸をつかまれたような感覚を覚えています。
目に留まった朝刊記事は「沖縄」を考えるという特集で、解散したTHE BOOMのボーカルであり、音楽家の宮沢和史氏のインタビュー記事「島唄 三線弾けなかったい一節」でした。
宮沢さんは、県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦という日本の歴史をご存じなかったをこと恥ずかしく思い、自分にできることは歌しかないということで作ったのが「島唄」だったそうです。
<ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら>
ウージの森(サトウキビ畑)を走り回っていた幼なじみの男女が、地下のガマで互いに殺し合わざるを得なかったという話が歌詞にされています。
宮沢さんは、この歌詞の部分だけは琉球音階を使えなかった。
三線を弾けなかったそうです。
それは、敵国ではなく、「日本」が彼や彼女を死に追いやったと知ったから。
沖縄の人たちの怒りの中心にある「尊厳の問題」。
宮沢さんは、ご自身の発言で何かが変わるとは思われていないし、こうすべき、ということもないけれど、かかわってくれた人が平和について何か気づいたり考えたりするような活動を続けていきたい、と。
その一環として、三線のさおの材料になるリュウキュウコクタンを沖縄で育てる活動を開始。
宮沢さんのインタビューはこう締めくくられています。
……育つまでに100~200年くらいかかる。僕も含めて誰も生きていませんが、
育てた木で三線が作られるなら、その間は戦争が起きなかったことになります。
2019年9月30日(月)朝日新聞朝刊、社会面より
戦争は、国をあげてのグリーフの問題でもあります。
感情的に受け取って、感情的に動くというのは望ましくないと思う。
しかし、この最後の言葉に込められた万感の思いは心のひだに、しみわたりました。
さて、翻って現在。
日本政府と沖縄の民意が対立している「辺野古閉鎖」について私はどの程度、認識しているのだろうか?
みなさんはいかがですか?
みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!