あれから二か月近くが過ぎました。
大学の定期試験が終了し、iPhonをONにした際に1通のメールを目にしました。
それは、なかなか試験が通らない…という事前情報を得ていた科目の試験でした。
1時間で千数百字の論述を終え、右腕は腱鞘炎状態。
心身ともに物ぬけの殻状態でしたが、そのメールを目にし
一気に異なる世界にいざなわれました。
「夏が来ますね」と題されたそのメールは、二十年来の友人からのものでした。
私はもちろん、今はスピリットワールドの住人となった息子との交流もあつく、
彼が世界をまわった際に買ってきたブルーのマグカップに赤い芍薬を飾った
涼しげな写真を添えてくれました。
とても素敵な写真で、私の宝物になっています。
メールの最後に一言。
彼は名前にふさわしい、男の子だった…と。
逝ってしまった人を想うのは、家族だけではありません。
友人然り、関わってくれた多くの方の心の中にのこり、
何かの折にふと思い出してくれます。
ありがたいことです。
と、今まではそう思ってきました。
そのありがたいは自分のこととしてのありがたいでした。
が、それはすこしばかり不遜な思いなのだと、最近は感じます。
故人の人生は家族のものではなく、本人のもの。
本人の在り方、本人の生きざまが
関わって下さった方の心の片隅にのこっているわけですから。
そこには家族は介入できないわけですから。
だから私はこう思います。
そうやって思い出してくれる人がいてくれる、そのこと自体が有り難し。
そして。
そうやって想ってくれる人がいる…そんな人が家族であったことが、また有り難し。
明日はその友人のお誕生日。
あなたがいてくれて、私は本当に幸せです。
photo by Boo de 風メンバー
みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!