昨年1月にスタートした秘教研究者、神尾学先生による1年間の『秘教治療』講座が終了したのをきっかけに、心に留まったあれこれを記事にしてみようと思い付き、書き始めたのが昨年末。
死別に限定することなく「喪失感、悲嘆、哀しみ」と共に生きていらっしゃる方のサポートを…と考えているものの、死別に伴うグリーフを抱えた方のお気持ちに寄り添うということが多いため、特に「死」に関わる内容にフォーカスしたシリーズの今日は3回目です。
今日の内容は、個人的に、またBoo de 風の活動上、非常に重きを置いているところです。
アリス・ベイリー著『秘教治療 下』第五章 返還の過程、66~67頁より。
・・・・・転生、形態内での生活、(死の原理の活動による)物質への物質の、魂への魂の返還、こうした過程すべてが偉大なる普遍的な引力の法則のもとで進められる。死の過程が人によってはっきりと認められ歓迎され、その人によって次のような簡潔な言葉で表すことのできる時のことを思い描くことはできるであろうか。つまり、「私の魂の引力が、私の体を放棄し、それがきたところに返すよう要求する時が来た」と。死が、形態の単なる意識的な放棄であると見なされるようになったときに人間の意識に起こる変化を想像しなさい。形態は次の二つの明確な目的のために一時的にまとわれるのである。
a 三界での支配力を得るため。
b 進化段階に応じて「盗んだ、借りた、もしくは適切に占有した」形態の質料に、魂を経た生命による衝撃を通してより高い完成段階に到達する機会を与えるため。
これらは重要な概念である。このような概念は以前にも言われてきたが、象徴的なもの、慰め、もしくは希望的な思考として破棄されてきた。私はそれらを、事実に基づいた性質のものとして、実際に避けられないものとして、一般の人々の人生を支配する(性質上リズミカルで周期的な)活動-目を覚ますことと寝ること、食べることと飲むこと、人が続けることに慣れているすべての周期的な出来事-と同じくらい慣れ親しんだテクニックや過程として提示する。
「死」は私たちにとって、慣れ親しんだものであるということ。
なぜなら、それぞれが、数え切れないほどの「死」を経験して今、ここに至っているから。
もっと言えば、この物質界において、目の前の現実に起きる「死」が深い深いグリーフの対象であったとしても、上位界層の視点でとらえた「死」は、その先につながる「変換の過程」に過ぎないということなわけです。
グリーフの契機となる対象をどの(界層)の視点でとらえるのか。
この視点が、その先のグリーフの道のいわば標識になる…そんなふうに私は感じています。
一方で、人間は多層的な存在です。
メンタル的に理解していても、感情がついていかない。
そんなことも当然ありましょう。当然なんです。
だから、秘教の学びが必要なのだと思うのですね。
私は秘教の研究者ではないので、子細なことはわかりません。
が、グリーフと共に生きているみなさんに、秘教を通して得た学びを、知識ではなくて生きるための智恵にかえて、自身の血肉にしていきましょうよ!と呼びかけることはできます。
昨年の新緑の季節に芽吹かせた「『ホワイトマジック』をグリーフの視点から読む会」をそのような場として活用して頂けたら、と思っています。
今日から二月。
もうすぐ春ですね。
みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!
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