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死という主題に対する姿勢。

更新日:2021年12月19日


オミクロン株の話題で盛り上がっている(らしい?)今日この頃。

今月に入り「恐怖心」にたいする内容を、久しぶりに『秘教治療』から引いてみました。

恐れ。


今日もこの流れで、恐れに関する記事です。

では、まいります!



アリス・ベイリー著『秘教治療 下』第二部 治療の基本的な必要条件、28~29頁より。


死という主題に対する大多数の人の病的な姿勢と、健康なときに死について考えようとしない姿勢は慎重に変えられなければならない。キリストは、もうすぐ自分が敵の手によって殺されることを弟子たちに告げたとき、死に対する正しい姿勢を示した。弟子たちが悲しんだとき、彼は叱り、自分が父のところに行こうとしていることを指摘した。高位段階のイニシエートであった彼にとって、それはオカルト的な意味での「モナドへの帰還」ー普通の人々と第三イニシエーションよりも下位の段階にある人々の場合は「魂への帰還」ーであることを意味した。死という主題が通常は恐怖と病的な状態を呼び起こし、人々が理解をもって死を直視したがらないのは、人々が肉体の事実に強調を置き、自分自身を肉体と同一化しているためである。それはまた、孤独に対する生来の恐怖心と慣れ親しんできたものの喪失に基づいている。しかし、肉体がないことに気づく死後に起こる孤独は、誕生のときの孤独に比べたら大したことではない。誕生のとき、魂は自分が新しい環境にあり、そして、長い時間をかけてそれに適合し、周囲の環境との知的な接触を確立するのには、最初はあまりにも不適当な肉体に埋没していることに気づく。人間は、魂のグループのうち、自ら関係を持つようになる肉体をまとっている人々が誰であり、その人々が自分にとってどのような重要性を持つかに関する記憶を持たずに転生してくる。この孤独は、自分自身のパーソナリティーでの接触を行い、自身と同質の人々を発見し、友人と呼ぶ人々を自らの周りに集めるにつれて、徐々にきえていく。死後はこのようなものではない。なぜなら、人間はベールの彼岸で、自分がしている人々や物質界での生活で関係していた人々を見つけるからである。そのため、人間が理解しているような意味では孤独はない。彼はまた、まだ肉体をまとっている人々を意識することもでき、彼らを見たり、彼らの感情や思考に合わせたりすることもできる。なぜなら、肉体脳は存在せず、もはや妨害物にはならないからである。もし人々がもっと多くのことを知っていさえすれば、恐れるのは死ではなく、誕生の経験になるであろう。なぜなら、誕生は魂を真の牢獄の投げ入れることであり、肉体の死は解放への第一歩でしかないからである。

いかがでしょうか?

キリストに示される死に対する正しい姿勢について、どのように受け取られましたでしょうか?

このきわにおいて、どのような姿勢で臨むのか。

あるいは、愛する大切な人に対しても然り。

これは、Boo de 風のグリーフサポートが特に重視しているポイントであります。

そして、引用の最終部分が、「『ホワイトマジック』をグリーフの視点から読む会」を芽吹かせた大きな動機であります。


もし人々がもっと多くのことを知っていさえすれば、恐れるのは死ではなく、誕生の経験になるであろう。なぜなら、誕生は魂を真の牢獄の投げ入れることであり、肉体の死は解放への第一歩でしかないからである。



死への恐れと誕生への恐れを反転させてみる。

そんなことをつらつらと考えてみるもよし・・・ですね。



みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!

#Boode風

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