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執筆者の写真Boo de 風

教会が担う責任

更新日:2022年2月7日


「教会の問題」シリーズ6回目。

今日の引用はいつも以上に長いです。


では、まいります!

アリス・ベイリー著『人類の問題』第五章 教会の問題、143~144頁より。

 世界中の組織化された宗教と教会はこの機会を認識して、キリストの訴えかけと無数の人々の要求に応えるであろうか。それとも、彼らは組織と教会のために働くのであろうか。世界の宗教の制度的な側面のほうが、生命を与える真理の素朴な提示を求める人々の必要よりも、教会人の意識には重要であると思えるのであろうか。教会の関心とエネルギーは、物質的な建物の再建、財政的安定の再確立、行き過ぎた神学の地位の回復、世俗的な権力と特権の新たな獲得に向けられるのであろうか。それとも教会は、間違った古い方法を捨てて、神は愛であるというメッセージをもって人々に向かい、素朴な愛ある奉仕の生活を送ることによってその愛の存在を証明するだけのヴィンジョンと勇気を持つであろうか。彼らは人々に、キリストが永遠に生きていることを告げ、死と血と神の取りなしという古い教会から目をそむけて、すべての生命の源である「より豊かな生命」ーを注ごうと待機している生きたキリストへと集中するよう人々に命じるであろうか。彼らは、古い形態の破壊は必要なことであった、そしてそれらが消え去ったことは新しいより完全な限定されない霊的生活がいま可能になったことを保証するものであると教えるであろうか。彼らは人々に、新しい酒を古い革袋に入れることはできないとキリスト自身が言ったことを思い出させるであろうか。教会の支配者と高慢な聖職者は自らの間違った物質的な目的、金銭、宮殿を公然と放棄し、「彼らが持てるものすべてを売り渡し」、キリストの後に従い、奉仕の道を歩むであろうか。それともかれらは、ー福音書で述べられている裕福な青年のようにー悲しげに顔をそむけるのであろうか。彼らは、キリストが行ったように、利用できる金銭を苦痛の軽減のために使い、キリストが行ったように、神の王国について子供たちに教え、キリストが行ったように、素朴な信仰、自信に満ちた喜び、神についての確信に満ちた知識を模範として示すであろうか。両半球のすべての宗教の教会人は内的な霊的な光を達成できるであろうか。その光は、彼らを光を携える者にし、新しい期待される啓示を確実にもたらすより五出しな光を呼び起こすであろう。教会の象徴になってきた物質主義と、正しく教えてこなかったその代表者たちの失敗は一掃されるであろうか。これらは世界大戦(1914~1945年)の原因であった。貪欲、憎悪、分離が地上と人々のハートにはびこっていなかったならば、戦争は起こらなかったであろう。霊的な価値の居場所が人々の生活になかったため、このような悲惨な失敗が起こったのである。これは、霊的な価値が教会の生活において小さな位置しか占めていなかったという事実によるものであった。その責任が教会にあることは明白である。


教会が直面しているたくさんの疑問について、ひと息に引いてみました。

いかがでしょうか?

どの疑問についても、うなずくばかりではないでしょうか?

本来、霊的な価値を人々にお伝えしていくはずの教会の生活において、その霊的価値が小さな位置しか占めていなかったということにすべてが起因する、というのです。

この大いなる矛盾たるや!

そしてそれは、現社会における、目を覆いたくなるような多くの矛盾の中のひとつ、しかも大きなひとつ、なのですね。



さぁ、気を取り直して今日も空を見上げてまいりましょう!


みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!



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