昨年12月にふと思い立ち書き始めた「教会の問題」について。
いつ終わりが来るのか…まだまだ見えてきませんが、今年もそのバトンを受け取り、再スタート致します。
では、まいります!
「教会の問題」4回目、5つ挙げられているテーマのうち、ひとつめテーマ「教会の失敗」について。
アリス・ベイリー著『人類の問題』第五章 教会の問題、139~140頁より。
キリストが再び人々の真中を歩くとき、キリストは教会を寛いだ住処にするかどうかという疑問が起こる。儀式と式典、虚飾と法衣、蝋燭と金銀、そして、法王、枢機卿、大司教、聖堂参事会会員、普通の教区牧師、牧師、聖職者たちという階級秩序に、ー地上にいたときにー頭を横たえる場所をもたなかった素朴な神の子が興味を抱くことはまずないように思われる。
深く霊的な人々の中にも、教会主義の窮屈な壁の中に自らの運命を投じた人々がいる。彼らは集団の中に、そしてあらゆる教会や宗教の内部に数多く存在している。彼らの運命は困難なものである。彼らには状況が分かっており、健全なキリスト教の宗教的なアイディアを、探求し苦悩する世界に提示しようと苦心奮闘している。彼らは真の神の子らであり、極めて不愉快な場所に足を踏み入れている。彼らは聖職者機構を蝕む「腐敗」に気づいており、彼らを取り巻く頑迷な信仰、利己主義、貪欲、偏狭にも気づいている。
いまだかつて神学によって救われた者はなく、生きているキリストによって、各々の人間のハートに内在するキリスト意識の目覚めによってのみ人間は救われることを彼らは知っている。彼らは周囲にはびこる物質主義を内面的には拒絶しており、人類の希望が教会にあるとは思っていない。教会の物質的な発展に没頭することで霊的なリアリティーが忘れられてきたことを、彼らはよく知っている。彼らは同胞を愛しており、教会の建物と天井の維持に使われてきた資金を、「手によって作られたものではなく、天に永遠にある」神の寺院の創造に使いたいと考えている。彼らは、あらゆる出来事の背後にー目に見えず、静かにー立つ霊的ハイラーキーに奉仕し、どのような外的な聖職者階級組織に対しても内的な忠誠を感じることはない。キリストとその霊的ハイラーキーとの意識的な関係へと人間を導くことが、彼らにとって重要な要素であり、教会の出席者数の増加や小さき人々への権威ではない。彼らは、キリストが傑出した行政官である神の王国を信じており、法王や大司教が主張し行使する現世的な権力を信頼してはいない。
・・・・・彼らは現世的な力は無であるが、その霊的な模範は会衆にイルミネーションと強さをもたらしている。彼らは人類の希望である。なぜなら、彼らはキリストと接触しており、神の王国の不可欠な部分だからである。彼らは、地位の高い聖職者やいわゆる教会の統治者たちが滅多に行わないような方法で神性を表している。
今日は、「教会の失敗」についての最終投稿ということで、かなり長く引用致しました。
神学によって私たちは救われない。
生きているキリストによって、各々の人間のハートに内在するキリスト意識の目覚めによってのみ私たちは救われる。
この内容が非常に大切、何よりも重要であると感じています。
自身を内観し、「『ホワイトマジック』をグリーフの視点から読む会」の立ちあげへの熱意は、この思いに通底していることにハッとしました。
その部分について、改めて書いてみようと思います。
ということで、次回は「教会の問題」を離れ、寄り道記事。
みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!
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