ここ最近の「『ホワイトマジック』をグリーフの視点から読む会」で話題にあがるのが瞑想。
そんな経緯もあり、このブログでも10月終盤から瞑想とヨーガにまつわるお話に度々触れました。
『ホワイトマジック』は、アストラル界の統御とそれに関する法則についての正しい理解について述べた論文(下巻362頁)であり、一方グリーフ(という想念形態)はアストラル界に存在する。
今までもしつこくこの文章を掲載しており、今後も掲載していきます。
というのは、私たちのグリーフにどのように向き合い、どのように対処していくかという問題は、言い換えると自分自身のアストラル体を如何に統御していくかということなのです。
物質界層にいる私たちには、なかなか高いハードルです。
この点について、『魂の光-パタンジャリのラージャ・ヨガ経典』第二の書のスートラ(221~222頁)をご紹介致します。
48 これを達成したとき、もはや相反する対をなすものは限定にはならなくなる。
・・・・・・人間のアストラル体とアストラル光に関する偉大な神秘があるが、その神秘の性質についてはまだ、進歩したイニシエートしか知らない。アストラル光はそれを生み出す二つの要素によって客観性を帯び、人間のアストラル体は二つのタイプのエネルギーに反応する。それらのエネルギーには元来それ自体の特性や形態はなく、その顕現を「上にあるものと下にあるもの」に依存しているようである。例えば、人間の欲求性質はイリュージョンの大きな世界つまり感覚のマーヤの誘惑に反応するか、メンタル体を用いて魂の声に反応するかのどちらかである。物質界とメンタル界からの波動がアストラル体に影響を与え、その人の性質と進化段階に応じて、高位の呼びかけに反応するか、低位の呼びかけに反応するかが決まるのである。
アストラル体は魂の印象づけに注目するか、この世の無数の声に揺り動かされるかのどちらかである。それにはそれ自体の声、それ自体の特性はないように思える。このことは『ギータ』の中でアルジュナが善と悪という二つの相反するフォースの間に立って、双方に対して正しい態度をとろうとする場面で描写されている。アストラル界は魂の戦場であり、勝利の場であるか敗北の場である。それは、大いなる選択がなされるクルクシェトラである。・・・・・・
今日も少し長めに引いてみました。
アストラル体は二つのタイプのエネルギーに反応する、つまり、魂の印象付けに注目するか、パーソナリティの声に揺り動かされるかのどちらかである。
様々なことが起きてくる現実生活の中で、まだまだ魂とつながっていない私たちが魂の印象付けに注目するというのは、至難の業です。
だから瞑想が必要なのですね。
瞑想状態にある魂との関係を構築するためには、物質界層にいる肉体が瞑想を行い、高位界層のエネルギーに共鳴できるようになる必要があるわけです。
そしてまた。
私が準備している「『ホワイトマジック』をグリーフの視点から読む会」という長距離マラソンのゴールテープに書かれた文字、
「グリーフ(という想念形態)を引き寄せるか否かは自分で選択できる」
は、「アストラル体は二つのエネルギーに反応するが、どちらに反応するかは自分で選択できる」ということの換言と言えましょう。
昨冬のワンショット。
水はアストラルの象徴。

みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!
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