今日は3月11日。
2011年から13年という時間を積み重ねました。
昨年の8月12日、「123便墜落事故追悼OM Chanting」を開催した際に
2024年の3月11日に「東日本大震災追悼OM Chanting」開催を決意しました。
OM Chantingはひとりでは行うことができません。
ご参加してくださる方がいらして初めて成立致します。
今日は週明けの月曜日。
お仕事をお休みしてまでご参加くださいました皆様に、心より感謝申し上げます。
今日は、OM Chantingの前に、まず福島、宮城、岩手からのメッセージをシェアしました。
福島は私が担当、宮城ご出身の方に実際に感じ取ってこられた状況をシェアしていただき、
岩手からのメッセージは私が代読させて頂きました。
福島には、地震、津波、原発という3つのテーマがありますが、
今日は福島が抱える固有の問題である原発について少しばかりお話させて頂きました。
東日本大震災が産み落としてしまった大きな悼みは、「ひとりの人間が抱える悼み」のはかり知ることができない深みの集積であるということ。
宮城、岩手からのメッセージは、このことについて改めて感じ入り、考えさせられる契機となりました。
メッセージをお寄せ下さいましたおふたりに深謝申し上げます。
この会の進行を考えているときに、湧き上がってきた問いがあります。
― 人の、仲間の、国民の悼みを私はどう引き受けられるのか? ―
自他の境界線を引き、課題の分離をはかりつつ、一方で悼みを引き受けるということはどういうことなのだろうか?
このこたえは、おそらく千違万別であろうと思います。
この問いを自分に向けてみたときに、みなさんはどのようにこたえますか?
未来に具体化するかもしれないコロナ禍が落としてきたであろうあれこれに鑑み、
一度、自分に投げかけてみる問いかもしれません。
13年目の3月11日に「東日本大震災追悼OM Chanting」を無事に開催できましたことを
誰にあてるともなく、ここにご報告申し上げます。
宮城出身の方から参加者全員への贈り物。
最高に!美味でした!!ご馳走様でした。
蒲鉾本舗 高政を検索していたら、興味深い記事を見つけたのでシェアします!
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