「『ホワイトマジック』をグリーフの視点から読む会」が2年目に入り、「先輩」になられた方々が1年を通して学んだ『ホワイトマジック』の中で、最も印象に残った部分をシェアさせて頂いております。
今日は、前回のつづきです。
ではまいります!
アリス・ベイリー著『ホワイトマジック 上』、87頁より。
しかしながら、自分が見ているのが周期的な刺激の結果と、魂の瞑想が彼の形態性質に与える影響でしかないという事実をひとたび理解するならば、その意味は以前よりも明瞭になり、そして形態様相がうまく反応できずに、エネルギーに不均一に反応しているためであるということを理解する。しかし、彼がひとたび魂の意識をもって生活し、(このような表現が許されるならば)その「高所」に意のままに達することができるならば、形態性質の浮き沈みが彼に影響を与えることはなくなるということを学ぶ。その時彼は、物質生活の界層から魂の領域へと続く狭い剃刀の道に気づき、その道は、着実に辿ったときに、変幻極まりない感覚の世界から、明るい日光の中へrと、リアリティーの世界へと導くものであるということを発見する。
そのとき、生命の形態面は彼にとって単に奉仕の領域になり、感覚知覚ではなくなる、この最後の文章を熟考し、魂として生きることを目指しなさい。そうすることで、魂から発せられる周期的な刺激の責任は自分にあり、それが自分自身が送り出したものであることが分かる。そして、自分自身がそれを始動させた原因であることを知り、結果に支配されることはなくなる。
いかがでしょうか。
ここには、グリーフに対する私自身の思いがそのまま(というか、より高位の位相において)表現されています。
そしてまた、「グリーフ」は文中にある「高所」へたどりつくためのひとつのルートであり、「グリーフを生み出した経験」はその登山口であると認識しています。
これは厳しい…グリーフはそんなものではない…という向きもあるかもしれませんが、しかしながらBoo de 風のグリーフサポートは、そこに気づき、山を登っていきましょうよ、という考えのもとで行っております。
なぜならば。
ずばり、その根底にはこの思いがあるからです。
魂から発せられる周期的な刺激の責任は自分にあり、それが自分自身が送り出したものであることが分かる。そして、自分自身がそれを始動させた原因であることを知り、結果に支配されることはなくなる。
さぁ、今日も上を見上げてまいりましょう!
これは3年前に撮影した1枚。
今日は、気持ちだけ南の島へ飛んでみました。
みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!
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